安全基地という考え方
2018年10月、保育士試験を受けました。
ほぼ隙間時間しか勉強出来ずでしたが結果は、9科目中、6科目で合格。この合格は三年間有効のようですので、次回(2019年4月の筆記、6月の実技)こそは、資格をとりきりたいと思っています。
さて、筆記科目「保育の心理学」で、保育士試験向けの参考書を読んでるとき、「安全基地」という言葉が出てきました。
子供は、特定の養育者を「安全基地」として認識できて初めて、外の世界に出ることができる。
ほーほー安全基地ねー。
って、え???
これ大人にも当てはまるんじゃない??
去年も会社を辞めたい辞めたいって思っていた。でもいざ辞めるとなるとこわくてこわくて。もともと私は精神的にかなり軟弱なところがある。人見知り、というわけではないし周りからみたらかなり社交的な方。ただ、ちょっとした人間関係のいざこざに滅法弱い。すぐに自分で自分を否定してしまうというクセがあるから他人から否定された日には大変なことが起こってしまう。自信がなく、自己肯定感が低く、心が折れやすい。
に、加えて。
子供2人が小さく、自立にはまだもうしばらく時間がかかりそう。
会社辞めたとて私は他の環境でやっていけるのか?
でも辞めたい。生きてるって感覚を体全部で感じたい。
あれ、でも子供がまだまだ小さいし。
いや、自分の人生を歩んでたらその背中を子供はきっとみているはず。
いや無理だ、精神が軟弱すぎる。。
去年の段階では、やっぱり無理だった。
でも今は、退職という決断に向けてもう一歩踏み出して考えることができている。
違いは何か?
安全基地の存在。
私にとっての安全基地、それは友達。
私の軟弱な精神と今の状況を理解してくれた。
私は、他人に依存や期待はしたくない。アドラー心理学についての本を読みすぎているせいもあるかもしれないんだけれど、依存も期待もしないで、相手の課題、自分の課題を分離した上で、相手を信頼するのが一番幸せな生き方だと思っている。
(アドラー心理学については、「嫌われる勇気」などをご確認ください)
同様に、価値観や行動の押し付けも、可憐にスルーする。
(でも、アドラー心理学に出会う前まではスルーができなかったから、今よりもっとしんどかった)
その友達は、間違いなく私の安全基地になってくれる存在。私がやりたいようにやることを、否定せずにただただ尊重してくれる。この距離感と対応に、本当に心から、感謝しても感謝しても、感謝が尽きない。
「明日、退職願を出そうと思う」
「退職願、出したんだ」
話を聞いてくれて、ただただ私の決断を尊重してくれた。
子供は、特定の養育者を安全基地と認識できて初めて、外の世界に出ることができる。
もう今となっては記憶の片隅にもないけれど、幼いあの日、母を安全基地と認識して外に一歩踏み出した時も、似たような感覚だったんだろうな。