付き合う人は、引きつけあった人

かつて、同僚のAさんととても親しかった。

Aさんは中途採用で入ってきた人なんだけど、全然納得していないようで、会社の愚痴ばかりを言っていた。

私も、会社を辞めたい辞めたいと思っていたから、一緒になって愚痴を言っていた。

 

そして、その時には気付かなかったんだけれど、Aさんと一緒にとても霧深い闇の世界に入ってしまって抜け出せないでいたようだ。

 

しばらくして、霧が晴れてきた。

霧が晴れたのにも理由があって、その頃ようやく始めたTwitterが、地平線を見せてくれたから。

それともう一つ大事な理由があって、私にはAさんのほかにも、大切な友達がたくさんいて、その友達がえいやーの力ずくで霧を全部吸い取ってくれたから。

 

私は、霧が晴れていたことに気付いた。

 

でもAさんは、霧深い闇の世界にまだ棲息していて、Aさん自身、その世界が霧深い闇だなんて気付いていないようだ。

 

私はまず、それは霧だよ、そこは闇だよ、とAさんにおしえようと思った。

でもそれは、余計なお世話だったようだ。

 

残念だけれど、今、Aさんと話をしていると、過去の自分がこのAさんと同じペースで愚痴を並べていたのかと残念な気持ちのになる。

 

類は友を呼ぶ。

 

そのとき付き合っている人は、そのとき引きつけあった人。

 

私はとてもメンタルが弱いところがあって頻繁に心が折れていて、社会に適合するのがとてもしんどいときがある。

それでも、楽しく過ごしたいって心の底から思っていて、少々背伸びしてでも明るく過ごせるようにしたいと思っている。

 

ときどき、

「無理して明るくふるまう必要はない」

という人がいて、その人はそういう考えで生きているのだから、その人の価値観で生きてけばいいと思うんだけど、

私は、少々背伸びしてでも、明るく過ごしてたい。

だって、明るい人のところには、明るい人が集まるから。

私は、明るい人と笑って食べて飲んで、ときどき真面目な話をして。そんなひとときが何より幸せだと、そう判断するモノサシを自分の中に持っているから。

 

ただ、どうしても心が折れて明るく振る舞えないときがあって。そんなときに付き合う人に、気をつけないといけないんだな。

 

付き合う人は、引きつけあった人。

 

安全基地という考え方

2018年10月、保育士試験を受けました。

ほぼ隙間時間しか勉強出来ずでしたが結果は、9科目中、6科目で合格。この合格は三年間有効のようですので、次回(2019年4月の筆記、6月の実技)こそは、資格をとりきりたいと思っています。

 

さて、筆記科目「保育の心理学」で、保育士試験向けの参考書を読んでるとき、「安全基地」という言葉が出てきました。

 

子供は、特定の養育者を「安全基地」として認識できて初めて、外の世界に出ることができる。

 

ほーほー安全基地ねー。

って、え???

 

これ大人にも当てはまるんじゃない??

 

去年も会社を辞めたい辞めたいって思っていた。でもいざ辞めるとなるとこわくてこわくて。もともと私は精神的にかなり軟弱なところがある。人見知り、というわけではないし周りからみたらかなり社交的な方。ただ、ちょっとした人間関係のいざこざに滅法弱い。すぐに自分で自分を否定してしまうというクセがあるから他人から否定された日には大変なことが起こってしまう。自信がなく、自己肯定感が低く、心が折れやすい。

 

に、加えて。

 

子供2人が小さく、自立にはまだもうしばらく時間がかかりそう。

 

会社辞めたとて私は他の環境でやっていけるのか?

 

でも辞めたい。生きてるって感覚を体全部で感じたい。

 

あれ、でも子供がまだまだ小さいし。

 

いや、自分の人生を歩んでたらその背中を子供はきっとみているはず。

 

いや無理だ、精神が軟弱すぎる。。

 

去年の段階では、やっぱり無理だった。

 

でも今は、退職という決断に向けてもう一歩踏み出して考えることができている。

 

違いは何か?

 

安全基地の存在

 

私にとっての安全基地、それは友達。

私の軟弱な精神と今の状況を理解してくれた。

私は、他人に依存や期待はしたくない。アドラー心理学についての本を読みすぎているせいもあるかもしれないんだけれど、依存も期待もしないで、相手の課題、自分の課題を分離した上で、相手を信頼するのが一番幸せな生き方だと思っている。

(アドラー心理学については、「嫌われる勇気」などをご確認ください)

 

同様に、価値観や行動の押し付けも、可憐にスルーする。

(でも、アドラー心理学に出会う前まではスルーができなかったから、今よりもっとしんどかった)

 

その友達は、間違いなく私の安全基地になってくれる存在。私がやりたいようにやることを、否定せずにただただ尊重してくれる。この距離感と対応に、本当に心から、感謝しても感謝しても、感謝が尽きない。

 

「明日、退職願を出そうと思う」

「退職願、出したんだ」

話を聞いてくれて、ただただ私の決断を尊重してくれた。

 

子供は、特定の養育者を安全基地と認識できて初めて、外の世界に出ることができる。

 

もう今となっては記憶の片隅にもないけれど、幼いあの日、母を安全基地と認識して外に一歩踏み出した時も、似たような感覚だったんだろうな。

 

退職に向けて

退職の話は信頼できる人にしかしたくない。

 

なぜって?

 

昨年、退職したい!と思って周りにぼやいたことがあった。そのときのこと、、、

 

「あなたにとって退職がいかに不利か。あなたにとって転職がいかに無理か」とご丁寧に説明してくださる同僚。

 

「仕事にやりがいを求めてはいけない」と本気で説得してくる先輩。

 

他人に価値観を押しつけないでいただきたい

 

価値観を押し付け退職に反対してくださる皆々様、誠にありがとうございました。あなたがたへの報告は、今後すべて事後報告とさせていただきます。

 

自分の気持ちに、自分の人生に責任を持てるのは自分だけでしょう。

なのに、分かってない人が多過ぎる。

 

私の状況、それは、無資格、未経験、37歳、子ども2人。

 

転職が不利なんて分かりきっている。でもそうご丁寧に説明してくる同僚は毎日仕事の愚痴ばかりで全然人生楽しくなさそう。

 

「仕事にやりがいを求めてはいけない」と私に言ってくる先輩に後日、「定年後は何をする予定ですか?」って聞いたら、「何もしません」と。私たちの世代では、あなたがたより長く働かないといけない。そんな中、定年後に何もする予定のない人が、仕事にやりがいを求めるなと説得するなんて無責任じゃないですか。 

 

 

私は、何の工夫もない生活に放り込まれると、生きる気力が失われるタイプの人間なのだとおもう。だがら、仕事にも生きがいを求めたい。そして、できるだけ長く、おばあさんになっても働いていたい。たとえ細々とであっても。自分のそのときの、体力知力に見合う形で。

 

仕事も子育ても遊びも勉強もすべて、生きることそのもの。仕事だからつまらなくても仕方ないですませている、その価値観を他人にまで当てはめる、その罪深さに何故気付かないのでしょう。

 

 

そんなこんなで、私は本気で退職を決意し、上司にまず伝えたその日から、決めていることがあった。

 

信頼できる人以外、退職の話は直前まで言わない

 

 

価値観の合わない人が、この職場には多すぎる。大手企業、安定思考、年功序列

 

 

そんなこんなだけど今日、信頼していて仲のよい人事課の後輩に、退職願を上司に提出したことを伝え、この先どんな手続きが必要かを聞こうかと、、、したのだけれど、

 

後輩のそのときの驚き顔といったら

 

開いた口がふさがらず、全然ふさがらずの開きっぱなし、凍結。

リアクション芸人かよっっ (え?退職者の対応も担当してるんだよね?)

 

驚いた。会社員だと思っていた後輩は、まさかの芸人だった。

 

結局、この後の手続きがひとつも分からず。その反応を目の当たりにして、昨日よりもひとつ階段を登った感じがした。きっと相当のショックを受けてくれていたのだろう。

 

ありがたい。後ろ髪を引かれる。

でも数時間後やはり改めて思う。

 

後ろ髪引かれてたとえ髪の毛抜けまくってでも私は前に進むよ

 

新卒で入社して11年。

辛すぎることもあったけれど人との出会いには恵まれてきた。

恩返しをしなければならない人がたくさんいる気がする。でも、できないままに退職する。

 

新しい場所で、新しい出会いに、恩を送る、恩送り。自分勝手な発想かもしれないけれど、本気でそう思っている。

とにかく残りの人生を生きる気力で満たしたい。

 

<読書メモ>お手伝い至上主義「自分で決めてできる」子どもが育つ~

こんにちは、ずーしみです。今日は読書感想文を載せます。

 


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お手伝い至上主義

「自分で決めてできる」子どもが育つ

三谷宏治 著

 

著者の三谷宏治さんは、元経営コンサルタントアクセンチュア、BCG)で、現在は金沢工業大学大学院(K.I.T)虎ノ門キャンパス イノベーションマネジメント研究科で専任の教授として教鞭をふるっている。

私は以前、金沢工業大学大学院で、科目等履修生として、三谷宏治さんの授業を3科目(戦略思考要論、戦略思考特論、CRM特論)受講した。

 

三谷宏治さんの印象、それは、はっきり言ってである。

授業中はめちゃくちゃ厳しい。でも私は、三谷さんを通して、本当の厳しさを持っている人というのは、本当の優しさを持っている人だということを学んだ。

人格者として、本当に素晴らしい人である。

 

さて、元経営コンサルタントであり、現在教授の三谷さんだが、その活動範囲はとても広い。その広さを証明するひとつが、本書。子育て本である。

 

巷には、やれ子供の早期教育だの、塾通いだの、お受験だの、そんな情報が溢れていて。子供のためにと思い、ありとあらゆるものを与える。そしてそれが「良し」とされているようにも感じる。かく言う私もそんな情報たちにおどらされていた。

 

でも、三谷さんの本書での主張は違う。

与えすぎる日本の親たちに疑問を投げかけている。

 

親の過保護・過干渉によって、子供たちから奪ってしまっている能力や姿勢は膨大です。
 

 

そして、下記に記すような内容の「与えすぎてはいけないもの」について、具体的な事例とともに紹介している。

 

  

「指示」を与えすぎない

なんでも相談してくれる従順ないい子。それは将来の「指示待ち族」。きめ細かな指示が、子供の判断力を奪ってしまう。

 

「予定」を与えすぎない

優秀なマネージャーママが時間管理をすべてやってくれて、子供はお受験に励むだけ。そんなことをしていると、子供は自己管理能力がつかない。

 

「モノ」を与えすぎない

ジャングルジムや折り紙などの、自由度の高い遊びの場がどんどんなくなっていっている。できあがった「モノ」を与えても、発想力は鍛えられない。

 

「カネ」を与えすぎない

早く大人になって、自分で稼いで、好きなモノを買って楽しもう!そういう根本的な「意欲」を持たせるために、過剰なお金は邪魔。

 こんな言葉も引用されていた。

古今東西、英雄・豪傑はみな貧乏の中から生まれておる。わしに稼ぎがないのはみな子供のためじゃ。親が偉いと子供は偉ろうならん。食うだけは食わせる。それ以外のことは自分でおしっ byNHKドラマ 「坂の上の雲」久敬の言葉」
 

 

この言葉読んで安心した。そう、安心して、お金よりも遣り甲斐を誇れる仕事をしよう(笑)

 

「答え」を与えすぎない

意図するとしないとにかかわらず、この世はあいまいで、正解は複数あるという。それを見抜いて、独自の新しい考えをつくり出す力こそが、これからの日本の子供たちには必要。

 

「勉強」を与えすぎない

三谷家では塾には簡単に行かせてもらえないらしい。試行錯誤をする力がなくなるからという。

 

なんと三谷家では、親にきちんと説明しないと高校受験すらさせてもらえないらしい。義務教育は中学までだからとか。

 

「夢」を与えすぎない

夢は破れるもの。そこから這い上がる力こそが人生を作るという。

一般社会人で「18歳のときに考えていた職業に就いている人」は全体の2%のみ。

つまり、夢は98%破れる。つまり、「人生、夢が破れてからが勝負」という。

 

 

私なんて、夢やぶれてばっかりでここにいて、もう無理、もう何もできない、自分は何もできない、できない、できない、、、そんなことばっかり考えていた時期あったな。

 

そうか、夢は破れるものなんだ!

破れてからが勝負なんだ!!

 

夢敗れてからが勝負、この考え方に勇気をもらった。

だから今、こうやってブログを始めているわけだし。

 

そして本題。

三谷さんが本当に子供たちに与えたいもの。それが、

ヒマ・貧乏・お手伝い

 

このお手伝いのさせ方が、、、かなり徹底している。

分担を決めたら、徹底してさせる。ママが手伝うのは禁止。

だから、その分担の仕事・・・例えば洗濯担当の人がさぼったとする、そうすると本当に、着るものがなくなるのだという。掃除担当の人がさぼったとする、そうすると本当に汚れたまんまだという。その不便を楽しむのだ、お手伝いをさぼったらいかに不便かを経験するのだというから、、、決意の強さを感じる。

「お手伝いできていないなら、学校に行かなくていい!」なんてくらいの徹底ぶりである。

一方で、お手伝いの効用についてもしっかり説明している。

お手伝いが、いかに道徳心や正義感を育むか、就職力をアップさせるか、課題解決力、コミュニケーションスキル、段取り力、意思決定力をつけさせるか。。。

確かに、と納得させられるのに十分な根拠が、本書には詰まっている。

 

そして、三谷家の子供たちは貧乏なのである。お金を本当にわずかしか与えてもらえない。ただ、この貧乏こそが、トレードオフ、交渉力、コミュニケーションスキル、計画性を鍛え、工夫を生むのだという。

 

本書ではこうも記されている。激しく同意できる内容である。

 

「仕事への意欲」を世界中で比べた調査があります。日本人はその意欲レベルにおいて、ほぼ最下位の結果でした。

 

お金が少ないからこそ、それをどう使うか考えますし、使途が自由だからこそ、自分で選んで決めた、という「自己決定感」が高まります。

そしてそれこそが、根源的な意欲につながっていくのです。
 

 

 

そして「ヒマ」こそが、発想を生み、自律を促すという。

本書で特に注意していたのが、携帯電話の使い方。ヒマにとって、携帯電話は強敵。いまの子どもたちにとって、真に自由(=ヒマ)な時間は少ない。ちなみに三谷家の子どもたちは、高校まで携帯禁止、高校に入ってからもお手伝いがキチンとできていない場合は携帯を持たせてもらえないらしい(笑)。テレビやゲームも徹底的に制限されている。

 

この制限こそ、絶好の「トレードオフ」や「取捨選択」の練習の機会だと。 

あまりに厳しい三谷家の家訓に、お子さんたちは反乱、涙、家出を繰り返していたようである(笑)

 

 

さすが、元経営コンサルタント、現経営大学大学院教授。実社会データを用いて根拠を示しつつ、巷の育児本とはかけ離れた提言。

たしかに、会社員をやっていると、学歴が高いだけの、意欲なし夢なしの指示待ち族も少なくなくて。

 

本書では、ここに書ききれないほどたくさんの提言があって、その全てに激しく同意! ただ、ここでの提言の全部を消化しきれるような人格が備わってこその、子育て方法な気もする。かなり、難易度が高め。。。

 

ただ、とにかくこの本と出会った私と、出会わなかった私とでは、子育てに対する意識が全く違っていたと思う。

 

子どもが小さいうちに、この本に出会って本当に良かった。